二次試験を乗り切ったみなさんへ
こんにちは。東京大学文科三類2年のK.O.です。
今年の4月から文学部社会学専修に進むことになっています。
僕がこのブログを書いているのは2月の上旬で、もう期末テストや期末レポートを終わらせて春休みに入っています(大学生の春休みは長いですね)。
受験生のみなさん二次試験お疲れ様でした。
2日間にわたる大一番でみなさんは集中して力を発揮することができたでしょうか。
短く見ればたった2日間の挑戦ですが、もう少し長く見れば共通テストから約1か月、もっと長く見るなら東大を目指して努力してきた数年間の長い戦いだったことでしょう。
共通テスト、二次試験を乗り越えたみなさんには合格発表までの数日間をぜひ二次試験の生暖かい余韻を感じながら過ごしてほしいと思います。
なぜなら、これからどうなるかわからない将来とは違って、大学受験までの軌跡は貴重な経験として皆さんの中に確かに刻まれたからです。
一度通り過ぎた出来事は時間が経つにつれて少なからず色あせていくもので、それは二次試験の2日間とて同じです。
そうであるならば、せめて二次試験が終わってから合格発表までの数日間くらいは大学受験という自分の挑戦とまっすぐに向かい合ってみてもよいでしょう。
京王井の頭線
二次試験を終えた2年前の僕は~受験直後~
高校3年生かつ東大受験生だった2年前の僕の話をします。
二次試験の最後の科目である英語が終わった後、解答用紙の確認のために小一時間教室の中で待たされますよね。
一日目なら翌日のための勉強をするところですが、二日目にはもう特にすることもありません。
僕は配布された東大入学に関する資料のようなものに目を通したのを覚えています。
その中でも特に第二外国語の紹介を面白く読んだことをよく覚えています。
スペイン語や中国語、イタリア語、ドイツ語などが順番に紹介されているのを読み比べて、「かっこいいドイツ語か文字が面白いロシア語がいいな」と考えたりしていました。
今思い返してみると、二次試験直後の僕は割と落ち着いていたなと思います。
隣に座っている人が自前の本を読んでいるのを見て「周到だなぁ」と思ったことも覚えています。
ですが解答用紙の確認が終わって帰路に着き、京王井の頭線に乗り込んだ後に自分が携帯電話を試験会場に置き忘れたことに気付きました。
すぐに引き返して無事に携帯電話を取り戻すことはできたのですが(受験生が去った後の受験会場を係員の人に案内されつつ歩いたのはちょっとレア体験でしたね)、僕もやはりどこかで少なからず落ち着かない思いでいたのでしょう。
二次試験を終えた2年前の僕は~合格発表前~
二次試験後の一日一日をはっきりと記憶しているわけではありませんが、僕の中に得も言われぬ解放感があったことは覚えています。
僕は東大以外にはどこも受験しておらず、落ちたら浪人するつもりでいました(具体的なことは何も考えていませんでしたが)。
国立後期の受験が控えているわけでもないのでひとまずは受験勉強から解放されたといううれしさがありましたね。
ですが、ただ解放されてうれしかったというだけではすみません。
東大受験は終わっても、東大に合格したわけではまだないからです。
二次試験の感触が特別悪かったというわけではなかったのですが、なにしろ入試は「周りの人より自分ができれば合格」「周りの人より自分ができなければ不合格」というものですから自分の手ごたえだけではどうにも感情の整理がつきません。
言葉にならない漠然とした不安をかかえていた僕は二次試験のことをあまり考えないようにしていました。
友達と遊びに行ったりして、落ち着かないものを落ち着かないままで打ち遣っておきました。
自己採点をしたこと
そんな日々の中でひとつ、気にかかる問題がありました。
それは「二次試験の自己採点をするか」ということです。
東大二次試験終了後にほどなくして駿台や河合のような大手予備校が模範解答を公開するので、正確ではないにしろ自己採点をすることは可能でした。
僕は母から何度か勧められていたものの、まだしていませんでした。
二次試験が終わって何日目かはっきり覚えてはいませんが、僕は結局二次試験の自己採点をしました。
大手予備校が出した模範解答と自分の記憶を突き合わせて部分点がもらえそうな箇所を探していく地道な作業です。
自分なりに自己採点をして結果を合計すると、共通テストの点数も加味して最終的な自分の得点率がわかります。
僕の得点率は、例年通りなら合格できそうな水準にありました。
実際の得点率とはかなり誤差があるでしょうから完全に安心はできませんが、時間を取って二次試験を受けた自分と向き合えたことで私の感情は心の奥までひとまず整理されたように感じられました。
自己採点を勧める理由
突然ですが、このブログを読んでいる受験生のみなさんにも二次試験の自己採点を推奨します。
大学受験に向けた模試なら自己採点の必要性を説くまでもないでしょうが、受験の合否に直接関わりのない自己採点をなぜ推奨するかは説明の必要があるでしょう。
二次試験の自己採点を勧める理由は以下の通りです。
- 人生最大の大一番とも言える二次試験と改めて向き合うことができる
- 合格発表に向けた心の準備をある程度の根拠を持ってすることができる
- 自分の不安な本心を隠さずに周りの人と接することができるようになる
1つ目は冒頭でも述べたように、長い年月をかけた努力の終着点としての勝負の2日間が時間の忘却の力で色あせてしまわないために自己採点をしようということです。
二次試験2日間のフル回転した思考は、みなさんの努力の証です。
自己採点の作業で自分が試験中に考えていたことを思い出してアウトプットすることが肝心です。
面倒だと思っても辛抱して向き合いましょう。
もちろん自己採点をしても時間が経てばどんどん記憶は薄れていきますから、自己採点の過程や結果は記録して保存しておくのがよいでしょう。
2つ目は自己採点の結果で仮にも合否の予測が立てられるので自己採点をしようということです。
出題される問題は違えど年によって合格最低点はそこまで変動しませんから、「いけそうだ」「いけるかもしれない」「ダメかもしれない」「ダメそうだ」くらいの判断は下せます。
過ぎ去った二次試験から目をそむけて漠然とした不安を抱えるよりも、自己採点結果という基準を持って相応の感情を抱いておく方が合格発表に向けたいい準備と言えるでしょう。
3つ目は2つ目と重なるところがあるのですが、自己採点をすることで自分の感情がある程度整理され周りの人との接し方に困らずにすむので自己採点をしようということです。
みなさんはたった一人で入試に臨んだわけではないはずです。
家族、先生、友達、少なからず周りの人と関わりながら努力してきたはずです。
となれば彼らから「入試どうだった?」「合格できそう?」と聞かれたときに無視するのは不義理でしょう。
もし漠然とした不安を抱えている状態で「合格できそう?」などと聞かれたらなんとも答えようがないですよね。「合格できそう」「合格できなさそう」どちらで答えても、茫洋とした本心とは異なっています。
それにも関わらず「合格できそう」と言えば人を安心させますし、「合格できなさそう」と言えば人を不安にさせます。
みなさんがなんと答えるかによって周りの人の態度は大きく変わります。なんの根拠もなく「ぬかよろこび」させたり「杞憂」に陥れるのは今まで支えてくれた人に失礼ですよね。
自己採点をすれば自己採点の結果を根拠に「合格できそう」か答えることができます。これならみなさんの本心を周りの人と共有することができます。
自己採点をするかしないか、それは極論を言うなら「どちらでもいい」ことです。
入試の合否には直接関係しないわけですからね。
ですがあえて意地悪に言うなら、「どちらでもいい」なら「してもいい」わけです。
私がここで自己採点を勧めて、すこしは利点があることがわかってもらえたと思います。
二次試験を終えた受験生のみなさんが自己採点について考える時に材料のひとつとしてもらえればうれしく思います。
駒場キャンパスの近くにある、旧前田家本邸・駒場公園
最後に~合格発表日の僕~
なんにせよ合格発表を見るまではそれから先のことはわかりません。
2年前の3月10日に僕はリビングで家族とPCを囲みました。
インターネットが混線してアクセスがなかなかできずにもどかしい思いをしたこと、受験番号が縦に並んだ画面を緊張した心持でスクロールしたこと、忘れもしない僕の受験番号がそこにあったこと、今思い出してもまだあの時の興奮がよみがえってきます。
受験生のみなさんの3月10日が特別な日になることを願っています。
最後に、みなさん二次試験本当にお疲れ様でした。受験生のみなさんの前途が明るく開けていることを願っています。最後までお読みいただきありがとうございました。
お知らせ
東大生協は東大を志望する受験生・保護者の皆様をこれからも応援してまいります。
また、東大での新生活をサポートするため、各種イベントを開催いたします。詳しくは受験生・新入生応援サイト2023をご覧下さい。
次回は【3/10】第二外国語についてお届けします!